恋と愛の違い(結婚相手を見つけ出す方法とは)
恋は下心、愛は真心とも言いますが、ちょっと抽象的で分かりにくいですよね。
下心・・・自分のエゴというか、一方的な感情からくる気持ちなんでしょうか。例えば、あの人を思い通りにしたい、あの人が他の人を見るのは嫌 自分の気持ちを受け入れてほしい、束縛したい・・・など。全て、自分の都合で相手を動かしたい、という自己中心的な感情のことです。
真心とは・・・相手を包み込もうとする心、という事なのかもしれません。相手の為に何かしたい、相手に迷惑をかけたくない、相手の力になりたい・・・といった、相手を主体にし物事を考えることなのだと思います。
恋は下心、恋という漢字には下に心が入っており、愛は真心、愛という漢字には真ん中に心があるという言われはこういうことなんじゃないかなと。
ちなみに国語辞典では、恋と愛を明確に区別しており、まず「恋」は「〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、「愛」は「1.損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち」「2.〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち」と定義しています。
そして「恋愛」は両者を合同した形で、「〔男女の間で〕恋(コイ)をして、相手をたいせつに思う気持ち(をもつこと)」としています。
おそらく、「恋は見返りを求め、愛は見返りを求めない」という事を言いたいんでしょう。下心・真心説とだいたい同じような意味ですね。
ちなみにですが
あたくしの解釈としては「恋」と「愛」では、相手に求めるそのものが違うように感じます。
「恋」は、自分とは違う相手の事を知りたい、相手との違いを少なくしたいという気持ちの強さのことだと思うんですよね。自分とは違うから、憧れを持ったり、刺激として受け取り、又、自分とは違う価値観を持つ人から新たな自己の面を引き出してもらったりすることに喜びや歯がゆさを感じます。
恋は楽しいばかりではありません。イラついたりしますよね。自分の思いが上手く伝わらない、思い通りにならない。自分とは違うからです。
それ故、違う相手のことをもっと知りたい、もっと分かち合いたいと思う気持ちが「恋」なんだと思います。
「愛」とは・・・同質性を見出す事だと思います。自分とは違うと思っていた人との意外な共通点に喜びを見出し、自分と似た部分を探しながら繋がりを求め、第二の自分を創りだそうとする・・というと言い過ぎでしょうか。
自分ではない相手、自分とは異なる相手と一緒に時を過ごすことにより、あぁ意外と同じ考えもあるんだな、とか、同じ人間なんだな、とか自分と似た部分を共有しあえるようになる気持ちを「愛」というんだと思います。
例えば自分の両親や兄弟には愛はあっても恋はしません。おそらく、生まれながらにして同じ部分を持ちあわせているからです。恋の理論でイライラすることはあっても、親兄弟に対して自分の思い通りにしようとする気持ちは恋とは違う感情であると思います。
結婚相手として付き合う相手に「刺激が無い」と感じてしまうのは、おそらく「恋」から「愛」に気持ちが移行しているからという理由でしょう。自分の気持ちが伝わらない、手探りな状態から少しずつ分かりあえている関係を築けている故に刺激が無いと判断してしまうのです。
結婚相手に芽生える感情は「愛」。少なからず「愛」が必要だと思われます。恋から愛に変わるこのモヤモヤした気持ちの変化は相手を受け入れる為の一つの関門と言えます。
そして親兄弟ではなく、全くの他人との関係を築く為に「愛」という気持ちを育んでいく為には、「恋」という感情の道筋を辿って行く必要があるし、また一番の近道のように感じるのです。
話がだいぶそれてしまいました。
何だかかなり一方的ですね。偉そうに随分と言い切ってしまっていますが、間違っていたらごめんなさい。
あくまで一個人の意見です。例外や批判も多いと思いますのでどうか参考程度にしてくださいね。。
男女の中では、恋人の定義、結婚相手の定義が多少ズレているように見受けられます。そんな中で一生を添い遂げる人を見つけ出さなければならないんですから、それはそれは大変な事です。
婚活中の男女は、「愛」を育む方法について深く知る必要があるんじゃないかな。自分と似たような部分を探しながら異性と関われば良いというわけではないのですが、その人なりに「これが愛ということなのかも」と思い当たる事があれば、もしかしてまた一つ結婚に近づけたということなのかもしれません。
結婚相手と出会うヒントになれば幸いです。
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